マイケル・ロバーツ 騎手

まだ外国人騎手が日本に来るのが珍しかった1990代前半から中盤にかけてロバーツ騎手はやってきました。非常に人柄が温厚でレースで前をカットされても怒る事は無い程の仙人ぶりです。これが藤田だったら後輩は検量室の陰でしばかれています。そして最後におきまりの尻に、思いっきり蹴っ飛ばしています。

ロバーツ騎手は親日家で、お寿司は勿論、てんぷら等がお気に入りのようです。成績は平凡ですが貴重な所で起用されます。その期待にしっかりと応えているので、関係者は年々騎乗依頼数を増やして行きました。

当時は今と違って騎手の騎乗馬を確保するエージェントの存在がありませんでした。現在は騎乗馬の確保に動くエージェントが、多数存在します。エージェントの本業は、競馬記者です。一時期このエージェントの存在がかなり、物議を醸しました。

結局現在のエージェント制度が確立されています。ロバーツ騎手の時代にエージェント制度があればロバーツ騎手の騎乗馬は増えていたかも知れません。ロバーツ騎手はドイツ馬ランドをジャパンCに出走させれば勝てると調教師に進言しています。

調教師は、かなり悩んだ末にランドのジャパンC参戦を決めました。そしてロバーツ騎手が勝てると言ったジャパンCでランドは直接抜け出し快勝しています。

ロバーツ騎手が、ランドがジャパンCで勝てるとした理由はランドは日本の固い馬場が絶対に合うはず。この1点でした。日本で騎乗経験がなければ進言できない内容の言葉です。

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