サニーブライアン

1997年のクラシックは、サニーブライアンが人馬を跳ねのけ躍進します。大本命メジロブライトを春は悉く粉砕します。サニーブライアンは前哨戦まで中々勝てず、実に惜しいレースが続いていました。人気もそれなりにありました。しかし、逃げて最後の辛抱が効かない為ギリギリ優先出走権を得て皐月賞へ進む事ができました。

本番の皐月賞になると評価は一変。サニーブライアンは殆ど印のない無印状態になります。鞍上の大西騎手も目立った活躍がありませんから多少仕方のない部分もあります。これだけは仕方がありません。

しかしサニーブライアンは本番に滅法強かったです。先ずクラッシック初戦の皐月賞では小細工無しの逃げに出ます。直線後続馬を引き連れて中山の坂を上って来た、サニーブライアンは既にセーフティリード。そのまま先頭でゴールを駆け抜け先頭でゴールインします。

2桁人気の馬のG1勝利に中山競馬場はどよめきました。大本命馬メジロブライトは、サニーブライアンを甘く見たのか、直線追い込むも4着が精一杯でした。

このレースは上位3頭が2桁人気と言う大波乱決着になりました。当時は3連系の馬券が無かったですからわかりませんが、今だったらとんでもない配当が付いていたと思います。

そして迎えた日本ダービー。皐月賞馬でありながら評価は低かったです。ここでもサニーブライアンは正攻法の逃げに出て府中の長い直線を押し切ってしまいます。2冠馬の誕生です。流石に秋は人気も上がると思われていた矢先の故障による引退でした。

SPONSORED LINK
合わせて読みたい!競走馬名鑑の関連記事
  • category
    競走馬名鑑

    2005年12月25日中山競馬場画像はWikipediaより ハーツクライは典型的な追い込み馬でしたが、あるレースを境に先行脚質に変わります。

  • category
    競走馬名鑑

    2006年10月29日 東京競馬場画像はWikipediaより アドマイヤムーンは色々な面で競馬界を賑わせてくれました。クラシック有力候補だったアドマイヤムーン。主戦騎手は武豊騎手、そして馬主は超頑固者近藤利一氏。

  • category
    競走馬名鑑

    2000年9月、アロースタッド画像はWikipediaより タイキシャトルはデビューしてから僅か、8か月で古馬混G1のタイトルを手にしました。デビューは4月中旬。

  • category
    競走馬名鑑

    2000年11月12日 東京競馬場画像はWikipediaより ブロードアピールは芝ダート不問の馬です。この馬がG1を勝てなかったのが今でも不思議でなりません。ブロードアピールと検索すればレースが出てきます。

  • category
    競走馬名鑑

    クロフネ(2001年5月6日、東京競馬場)画像はWikipediaより クロフネは種牡馬としても成功を納めていますが現役時代は芝とダートのG1を勝っています。